上司がいなくなり、その後も職場にとどまって仕事をしていました。7月頃には代表には私たちは辞めないだろうと思われていたようです。
そんな中上司から私に連絡がありました。
私はしばらくは上司のLINEもブロックをせず、そのままにしていたのです。すぐにブロックして家に来られたら怖いと思っていたから。
一度キレたら何をするかわからない人と私もIさんも思っていたから。
Iさんは本当に上司とは合わなかったし自分の気持ちを大切にしている人だったので即ブロックしていましたが。
上司からの連絡は
「労基に行った。会社のことを訴えてる。証人が必要なので労基に行ってほしい」
とのこと。
私にしてみたら、いやいやあんたが私にしたことで逆に私が訴えたいよ?と今になって思っています。何度かこの件で連絡があり困っていたのですが、その後「行けません」と伝えた後からは連絡が無くなりました。てっきり諦めたと思っていたのですが・・・。
その間も友人のところに手伝いに行き、事務所を移転するからハガキを作ってほしいと連絡があり、住所録がないのかと聞いたら「無い」との返答。びっくりしてじゃあ何で住所確認するのかと連絡してもすぐに返事がなく3日後に名刺を取りに来てほしいと言われました。
事務所に行ったら友人は仕事でいなく机の上に名刺ファイルが置いてあったのですが、指示書がなく一体どれを処理するか不明。
ふせんの貼っているものと連絡が来たのでそのように処理をしたら、付箋以外の部分も必要だとか文面メールを送ってくれるはずが忙しいと言われ、なのに2日後にはハガキを送りたいと言われたり。
文面はハガキを出す前日にテンプレで送られてきて、内容の修正はこちらでしました。
この友人のことを薬剤師の友達にだけずっと相談していました。うつ病と判明する前から心配をしてくれ病院に行くように勧めてくれていた友人なので安心して相談できたのです。
その友人からは
「うつ病とわかっているのに無茶を言ってくる事がおかしい。なのに障碍者雇用のこととかやってるなんて。手伝いは辞めた方がいい」
と言われ続けていたのですが、このハガキの件で本当に無理だ、と思いハガキを作成し今後は手伝えないと伝えました。
仕事以外では連絡はなかったですし、出会ってから特に連絡を取り合うような仲ではなかったので友人と呼べるものではなかったな、と今なら思います。
うつ病と診断され薬が効いてから、私はリストカットを始めていました。
何のため、と言われたら「生きる為」でした。
希死念慮はありましたが、弟が自死で亡くしこれで私も自死をしたら母がどれだけ悲しむだろうとずっと思っていたので自死だけは絶対にしないと思っていました。
その我慢の反動だったのか、自分を傷つけ血を見ることで自分を保っていました。
友人の移転はがきで振り回されてから回数が多くなったように思います。
夏なので半袖・・・その時には左手首から上の方まで傷ついていました。それを色々なもので隠して仕事をし、また実家に帰った時にも見えないように工夫をしていました。
そんな思いをしても自分を傷つけることを辞められませんでした。
もちろん先生にも話していましたが、辞められず。
夜、電気もついていない部屋で自分の腕を切り血をみて落ち着く。それがずっと続いていました。
昔の病気になる前の私なら、「なんでリストカットなんてするんだ?痛くないのか?」と思っていたと思います。自分がその立場になって生きるためにするリストカットもあるんだと思いました。
手帳にも「血を見ると安心する」と記載しています。
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